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2012年1月

消防団出初式

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先週の日曜日、小金井市消防出初式に参加してきました。

私は2年前から小金井市消防団第一分団として、地域の防災活動に参加しております。

常設道場を始めたときから、地域に密着した活動をどうにかできないものかと考えていたときに、町会長さんに声をかけられて入団したのですがそれまで消防なんて全く知らない未知の世界。地方だと若いうちに必ず通る道なんて聞いたことがあるくらいでして、東京でもこんなに活動していたなんて知りませんでした

またその歴史の古いんです。空手よりよっぽど昔からある日本の身体性の文化なんですよね。

Wikipedia 消防団

いざ始めてみると、みんな仕事と両立させながら訓練を続けていくというのはかなり大変なことで、道場生には迷惑をかけてしまったこともありました。しかし自分の街を自分達で守る、これ普段身体を鍛えている武道や格闘技をやっている人間が役に立つ数少ない社会貢献だと思うのです。

またいつも、道場長や代表取締役なんていっぱしの肩書もっていて偉そうにしていても、こちらに来れば新団の一兵卒。お茶くみから何から先輩たちに教わりながらやっていくのはとても新鮮で、なんか若い頃の忘れていた感じを思い出しますし、実際経営者としての再教育の場として考えるととても勉強になることばかりです。

そしていざ火事場に出ると、燃え盛る炎の中での判断力、行動力、そして集団での連携、どれもこれも武道に通ずることばかり、対自然ですからね。

私が言うのもなんですが、人間相手の殴り合いなんて可愛いものですよ(笑)

昨年の東日本大震災では、数多くの勇敢な消防団員の方たちが、お亡くなりになりました。テレビなどでその姿を見た方も多いのではないでしょうか??

まだまだ地震は続いています、またいつあのような状態になるかわかりません。そのときに少しでも地域の人たちの役に立てればいいなと思います。

一期2年、3月でようやく最初の任期を終えるのですが、来期もぜひやらせていただきたいと思っています、始めた物事は3年以上は続けないと自分のものにはならないですからね。

まだまだ覚えることだらけで先輩方の足を引っ張るばかりですが、空手と同様に日々の訓練続けなければならないと思っています。

そしてそのような姿を私が見せることにより、10年後くらいに今道場に来ている少年部の子供たちの中から、仕事をしながらも社会貢献する立派な青年が出てくると良いなと思います。

押忍

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絆→歪

旧年中は大変お世話になりました、今年もよろしくお願いいたします。

嵐のようだった2011年は終わり、空手道禅道会東京 無事に新年を迎えることができました。

昨年の震災直後の道場運営は本当に大変でした。
計画停電の影響で体育館や武道場が使用できない、道場生のみんなも空手の稽古どころではなかったでしょう。とくに仙台に帰郷していて被災した齋藤天君なんて九死に一生を得るような状態、また常設道場設立時の指導員だった宮毛拓郎準指導員、初代道場長の日下一雄師範代、早過ぎる二人の死という悲しい出来事が続き、私自身武道などやっている場合なのであろうか?と何度となく自分自身に問いただすこともありました。

しかしそんな中でも、稽古に来てくれる道場生がいて、
協力してくれる人たちがたくさんいて、
苦しい状況のなかでもみんなで一丸となり稽古を続けたおかげで、た
くさんの選手が結果を出してくれました。

そのことが沈みかけていた私の気持ちをどれだけ救ってくれたことか、昨年の流行語にもなった”絆”というものを肌で感じることができ、感謝の念でいっぱいです。

しかし現在の日本の状況を見ると疑問も沸いてきます。

その”絆”という言葉、果たして今の日本を本当に表している言葉なのでしょうか?

私には、いまいちピンと来ませんでした。

そんなときに最近インターネットを見ていたら、「”絆”ではなく”歪”なのではないか」というBlog記事を目にしたとき

まさしくその通りだなと。

地震は、地下にあるプレートの”歪”から発生します。

今回の大地震で今まで我々の生活の中で、隠されていた”歪”というものが、一気に露出してしきてしまった。

戦後の高度経済成長、バブルの崩壊、格差社会、豊かだと思っていた私たちの生活は、その”歪”の上に上塗りされていたメッキのようなもの。

そしてその社会の”歪”は、学校教育、家庭教育にまで浸食していき、現在私達がディヤーナ国際学園で預かっているような子供たちに鏡のように映されている、20年後、30年後、私達の生活はどうなっているのでしょうか?

国民は政治家の責任だと言い、政治家は国民が堕落しているからだと言う。心理学用語で言うところの合理化、自我防衛本能から来る責任のすり替えでしかありません。

私自身も思い当たる節がたくさんあります。

私達は、”宗教”と”軍隊”の持っていない(取り上げられた)類まれな国で育っています。

ですから国からは生き方の指針を直接的にもらっていません、逆に考えればテレビやメディアで間接的に情報をコントロールされていたとしても、自分たちで生き方を見つけ一人ひとりが自分自身の”歪”を意識化して正していくことができるはずです。

武道というものは、そのツールの一つであることは間違いないでしょう。

道場を心癒す居場所として使ってもらっても良いかもしれません。競技スポーツとして楽しみ明日への活力にしてもらっても良いでしょう。

身体を通じての道徳教育、鍛えた精神と肉体を使っての地域貢献活動、いろいろな捉え方があるとは思います。

学校教育における武道必修化が始まる今年、今一度問いただしながら今年は、稽古、活動を続けていき、三段位に挑戦しようと考えています。

そのためにも自分自身の”歪”を正すところから始めなければいけません。

子供たちは後ろから背中見てますからね、、、、、

私にはそんな大きなことはできそうにも無いので、足元から頑張って行こうと思います

押忍